「隊長！シーク隊長！明かりです。明かりが見えます！」
部下が指さす方向を見ると、確かに明かりが見える。
オアシスか、それとも街か。
「ここで野営するよりはマシだろう。行くぞ」
ラクダを立たせると再び隊列をなして明かりに向かって進む
数時間前の砂嵐で、本隊からはぐれてしまった。
太陽の位置から目的地の方向を確かめたが、一向に合流する気配はない。
そうこうしているうちに日が落ちた。
星を頼りに進んでも良いが部下の疲労も極限に達しているだろう。
今夜は野営を・・・と思った矢先の、明かりだった。
「随分と大きなモスクのようですね」
いくつかの建物の明かりと思われていたものは、
実は１つの大きなモスクの明かりだった。
しかし周りに街があるわけでもないのにこんな大きなモスクが、なぜここに・・・
「どうします？シーク隊長」
「明かりがついていると言うことは、誰かがいるに違いない。
たとえ庭先にしろ、野営するなら断りを入れるべきだろう」
私はモスクの入り口付近のオアシスにラクダを止めると、入り口に近づいた。
大きな篝火に照らし出されたモスクは、ブルーに彩られている。
いや、ブルーに見えるのは青い月のせいか・・・
扉を叩こうとすると、扉は音もなく開いた。
そっと中を覗いてみるが、誰もいる気配はない。
ただ、煌々と明かりがともされている。
私は中に足を踏み入れた。部下達もそれに続く。
「すごい壁画だ・・・」
部下の一人が壁画に見入っている。
目をやると、それは何かの物語を描いたものらしかった。
一人の王子が姫君と寄り添っている。
そこへ、チャドルをかぶり変わった形の杖を持った、
おそらく魔女と思われる女が現れる。
魔女は王子に魔法をかけると姫君から引き離し、
その上、姫君を館へ幽閉した。
やがて魔法をかけられた王子は、姫君を忘れて魔女の虜になる・・・
姫君は幽閉されたまま、最後の時を迎えたようだ。
「史実でしょうか？」
部下の一人が問う。
しかし私は、その壁画に描かれた姫君の美しさに見とれていた。
これほど美しい姫君がこのような運命を辿ったとは・・・
例え物語であったにせよ、悲運には違いない。
「（その魂よ、安らかに・・・）」
私は跪くと壁画の前で祈りを捧げた。
何かが耳に届いた。
立ち上がって辺りを見回してみる。
確かに、何かが聞こえる。
そう・・・少し高い・・・これは女の笑い声・・・？
何人かの女の笑い声が、奥に向かって伸びる回廊から聞こえる。
部下達にも聞こえたのか、皆一様に回廊の奥を見つめている。
私は回廊へ足を進めた。
笑い声は少しずつ大きくなる。
それを確かめるようにしながら、突き当たりの扉の前まで来た。
そっと扉に手を伸ばすと、触れるだけで扉は開いた。
笑い声の主たちが、一斉にこちらを振り向いた。
部屋の中は不思議な青い明かりに照らし出され、
宴でもしていたのか、宴席が設けられていた。
「あなた方は・・・？」
「驚かせて申し訳ありません。私たちは砂漠を旅する者。
砂嵐に巻き込まれ道を見失い、一夜の宿をこちらの庭先に求めて
やって参りました。どうぞお許しを・・・」
「そうでしたか。庭先と言わず、どうぞ中でお休みなさいませ。
ここは見ての通りの辺鄙なところ。旅のお話などお聞かせ下されば
皆も喜びましょう」
女官長と思われる女が私に対応する。
他の侍女たちも、部下に付くと席へ案内する。
私も一番奥の席へ招かれた。
「姫様。異国のお客人にございます。
砂嵐に道を失われてお越しになった由にございます」
女官長は一番奥の席の後ろにある透かし彫りの扉の奥へ向かって、そう告げた。
よく見ると、扉の向こうに誰かがいる。
「ようこそ異国のお客人様」
「突然の非礼、お許し下さいませ」
「どうぞ、ごゆるりと・・・」
微かに透ける扉の向こうでは、寝椅子に横たわった姫君の姿が見え隠れする。
姫君が動く度に衣ずれの音が聞こえる。
「姫君はこちらにお出ましにはならないのですか？」
宴席に付きながら、私は女官長に訊ねる。
「姫様は・・・ジャスミン姫様は、あの扉よりこちらには
お出ましになれないのです。あの扉には・・・
あの扉には、呪いがかけられているのです」
「呪い？」
女官長がうなずく。
「姫様を疎ましく思うものによって、呪いがかけられたのです。
あの日より、姫様はあの扉からこちらへは出られずにおられます」
「その呪いを解く方法は無いのですか？」
「ございます、一つだけ」
女官長は私の目を見て答える。
「姫様を心より恋う者が現れたなら、あの扉は開くのです」
私は扉の方を振り返る。
衣ずれの音が聞こえる。
そして微かに漂う甘い香り・・・
「隊長！先に休ませていただきます」
ハッと我に返ると、部下達が声をかけてきたところだった。
皆、それぞれに侍女をはべらせている。
「あぁ」
侍女達の案内によって、部下は部屋を出ていく。
いつの間にか女官長もそばを離れていて、私一人が部屋に残された。
「お客人様も、どうぞお休みに」
衣ずれの音と共に、扉の向こうから声がした。
姫君の・・・ジャスミン姫の声だった。
「いえ、私はここに。私までが去っては、あなたは一人になってしまう。
わたくしで良ければ、夜が明けるまでお相手いたしましょう」
「・・・お客人様、お名前は？」
「シーク」
「シーク様・・・」
楽の音のような衣ずれの音が聞こえる。
「あなたは、なぜそのようなところに？」
「・・・わたくしは、一人の王子様をお慕いしておりました。
しかし魔女によってかけられた魔法で、王子様はわたくしこそが魔女と
思いこまれ、ここへ閉じこめてしまわれたのです。そしてその魔女と・・・」
姫君のすすり泣く声が聞こえる。
私は扉に背を向けた。
「私が・・・私では、あなたをここからお出しすることは出来ないのでしょうか」
すすり泣く声が、止まる。
「愛する者を奪われた上に、この様なところへ閉じこめられているなど・・・
せめてその扉から出ることだけでもできれば、その苦しみも少しは和らぐでしょう」
「シーク様・・・」
「私では呪いを解くことなど出来ないかもしれませんが、せめて神に祈らせて下さい。
その王子が、一刻も早くあなたを思い出すように」
扉に背を向けたまま、私は跪いて祈りを捧げた。
ジャスミン姫の運命に、祈らずにはいられなかった。
甘い香りが、強くなった。
衣ずれの音が近づいてくる。
香りが最高潮に達したとき、温もりが背中から私を包み込んだ。
「シーク様・・・」
「ジャスミン姫・・・」
肩に回された手を取り、振り返る。
ジャスミンは、体中を妖しい紋様に覆われていた。
その体を私の目から隠すように、姫は身を翻す。
「ご覧にならないで下さいまし。この様な呪われた体を・・・」
「呪われた・・・体・・・」
「魔女はわたくし自身にも呪いをかけたのです。一生消えぬ呪いを、この体に」
私はそっと彼女を抱きしめる。
「可哀想に・・・」
姫は私の腕の中に、身を投げ出す。
どこからか、歌声が聞こえる。
♪ あなたを 待ってた 永遠の眠り 目覚めた
I am Hunter I am Hunter
あなたを求めて あなたを見つめて 青い夢見つめる
I am Hunter I am Hunter
あなたを求めて この寂しさに抱かれ あなたを待つ
永遠の眠り覚め あなたに抱かれる
I am Hunter I am Hunter ♪
歌声に合わせて、ジャスミンが舞う。
舞う度に甘い香りは強くなり、私は酔いしれる・・・
いつの間にか周りで部下達も、侍女と共に踊っている。
その目は虚ろで、夢の中を漂っているかのようだ。
そして侍女たちも体中に紋様が浮かび上がっていた。
夢か、現か・・・
時に激しく、時に寂しげに、ジャスミンが舞う。
誘うような黒い瞳に、私は捕らえられる。
ジャスミンが、扉の向こうへ戻ろうとする。私は後を追った。
寝椅子に横たわり、私を見上げるジャスミン。
私はジャスミンの手を取り、共に横たわる。
扉が、音もなく閉まる・・・
「おい、しっかりしろ！おい！」
砂漠の中に、数人の若者が横たわっていた。
通りかかった砂漠の商人達が、彼らを助け起こしている。
「う・・・ん・・・」
「良かった、生きてる！テントの用意だ、早く！」
抱き上げられた若者達は、状況を把握できていない。
水を飲ませながら、商人達は手際よくテントを張っていく。
「あんた達、昨日の砂嵐ではぐれた小隊だろ？ さっき、本隊とすれ違った。
見かけたら次の街で待っていると伝えてくれと言われたんだ。それにしても
昨日の嵐は酷かった。慣れている俺たちでさえも大変だったんだ。
異国のあんた達が良く生きていられたもんだよ」
若者は抱きかかえられながら、テントの中に入る。
そして仲間達を確かめるように見回す。
「・・・隊長は？」
「隊長？」
「シーク隊長だ。俺たちは５人いたはずだ」
「いや、倒れていたのはあんた達４人だけだったよ」
４人の若者は顔を見合わせる。
「砂嵐の時に、はぐれたんじゃないのか？」
「そんなはずはない！確かに一緒にモスクへ行ったんだ。そう・・・モスクに」
「モスク？」
商人達は不思議そうな顔をしている。
「・・・惑わされなすったね」
チャドルをかぶり、杖をついた一人の老婆がテントの入り口に立っている。
「誰だい、この婆さんは」
「占い婆だよ。次の街まで連れていく契約なんだ」
若者の問いに商人が答える。
老婆は気にもとめず、言葉を続ける。
「あんた方は惑わされたのさ。砂漠のブルー・モスクに住む、ジャスミン姫に」
「ジャスミン姫？・・・あの伝説の妖女か？」
今度は商人が老婆に問う。
「あぁ、そうさ。何百年も昔、王子をたぶらかしてこの国を我が物にしようとし、
白の魔女によってモスクに封印されたという、あの妖女・ジャスミンさ。
それ以来、砂漠に迷う若者を捕らえては虜にしているという噂だがね」
「でも婆さん、あれは作り話だろう？それも昔々の」
「・・・それはどうじゃろうな」
老婆は小さく笑うと、杖をつきながらその場を去った。
あの壁画に描かれたのと同じ杖をつきながら ――――