エレーヌを海に流し、俺は傷心を抑えて船に戻った。

「船長！」
「エミリオ船長！」

俺は船に渡された板梯子を駆け上がった。
涙を見られぬよう、早足で甲板へ向かう。

「ここを引き払うぞ！キッド、船を出してくれ！」
「船長、キッドは・・・」
「なんだ？」

そういえば、船の様子がおかしい。
俺の帰りを待っていたにしても、用意が出来ていなさすぎる。

甲板に出ると人だかりが出来ている。
俺を見ると仲間達が道を空けた。


その先に、キッドが横たわっていた。


「・・・・・・キッド？」

甲板に敷いた毛布の上に、キッドは横たわっていた。
俺はキッドに駆け寄る。

「キッド！・・・キッド！！」
「キッドのそばに、エドガーの手下の死体も転がってたらしい。
　たぶん、相打ちになったんだろう」

キッドの傍らに跪いた俺の肩に
ドクターが手を置いて、そう呟いた。

「アンの仇をとったんだよ」
「仇？・・・・アンは？ラッカム船長は？！」
「ワシはここにいる」

声の方を振り返ると、ラッカム船長が船壁にもたれて座っていた。
腕の中にはアンが・・・血に染まったアンが抱きかかえられていた。

俺はヨロヨロと立ち上がると、ラッカム船長とアンのそばへ行く。
そして片膝を付くと、アンの手を取った。

閉じられていたアンの目が、微かに開いた。

「アン！」
「・・・・・エミ・・・・リオ？」
「あぁ、俺だ。アン、しっかりしろ！」
「良かった・・・・エミリオが・・・・・無事で・・・・・」

アンは苦しげに息を吐きながら呟く。

「アン、すぐに島へ戻る。だから気をしっかり持て！」
「いい・・・んだ・・・・あたしは・・・・・もう・・・・」
「ダメだ！・・・・ダメだ、アン！しっかりするんだ！」

ともすれば、再び流れそうになる涙を必死に押さえながら
俺はアンを励ます。

アンの目が俺をとらえた。

「エミリオ・・・・・ロザリオ・・・・は？」

俺は手で胸元を握りしめて隠す。

「海に・・・流した。復讐は終わった。だから　―――」
「そうか・・・・大事な・・・・・ロザリオ・・・・・・・だったのに」
「いいんだ！」

俺は吐き捨てるように言う。

「ダメ・・・だよ・・・・あれは・・・・・エミリオの・・・・母さんが
　・・・・エミリオを・・・・守るために・・・・託されたもの・・・・だろ？」
「アン、もういい。しゃべるな。すぐに・・・・すぐに船を出すから」

痛みに顔をゆがめながら、アンは右手を
自分の首元へ持って行こうとする。
ラッカム船長はアンの意図することがわかったのか、
アンの首に掛かっている十字架を外し、その手に掛けてやった。

「これを・・・・アンタに・・・あげるよ」
「アン！」
「あのロザリオとは・・・・・比べものに・・・ならないだろうけど・・・
　少しでも・・・・エミリオを・・・・・守って、くれると・・・思う」
「エミリオ、受け取ってやってくれ。それはまだアンが
　小さかった頃、キッドがお守り代わりにってアンにやったものだ。
　・・・・キッドのためにも、もらってやってくれ」

ラッカム船長が俺を見て静かにうなずく。
震える手で差し出された十字架を、俺は受け取った。

「ありがとう・・・・アン」

アンが微かに微笑む。
そのまま十字架を差しだした手を俺の頬へ伸ばす。

「船から・・・・落ちないよう・・・・・戦いで・・傷付かないよう・・・・
　キッドと・・あたしが・・・・守ってる、から」
「あぁ」
「エミリオ・・・・・あたし・・・ずっと、アンタが・・・・」

その先の言葉を告げようと唇が開きかけた瞬間、
アンの指先がスッと俺の頬をなでるように落ちて行った。
体はラッカム船長の腕深く沈む。

「アン？・・・・・アン！！」

ドクターはアンの側へ寄ると手首を取り、そして小さく首を横に振った。
それを見てラッカム船長が力一杯、アンを抱きしめる。
仲間達はアンから顔を背け、唇を噛みしめた。

「う・・・・うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ！！！」

言葉にならない叫び声をあげると、
俺は仲間達をかき分けて人気のない船尾の方へ走った。

涙が溢れて止まらない。
でも、こんな涙を誰にも見られたくはない。

エレーヌの死も、キッドの死も、アンの死も、
全てが悪夢であってくれたなら・・・・

悪い夢から覚めてくれたなら　―――――


船尾の船べりに拳をぶつけようとして、
俺は手の中に握りしめたままの十字架に気が付いた。
そっと拳を開く。


アンが大事にしていた、銀の十字架。


・・・俺は、アンに何をしてやれただろう。・・・キッドにも。

島に流れ着いて７年。
俺は一体、何をした？

アンの気持ちは・・・・知っていた。
アンを見つめているキッドの気持ちにも。

でも俺は・・・

俺は復讐のことだけを考えていた。
ただ、自分の復讐を果たすことだけを。

その為にエレーヌは死んだ。キッドも。・・・そして、アンも。


なにもしてやれないまま、死なせてしまった ――――


誰かが追ってきた。
俺は振り向かず、気づかない振りをする。
多分、あの足音はドクターだ。
そしてそれに続く数々の足音・・・・

「エミリオ」

「殺したいほど憎んでいた男に復讐を果たした。
　だが愛する人や仲間の命と引き替えに手にしたものに
　どれほどの価値があると言うんだ！」

「エミリオ。エレーヌもアンもキッドも、このカリブの海に生きている」

「俺たちはこのカリブの海で、共に命を懸けて生きているんだ」

「オイラは、生きてるって感じを味わいたいから、海へ出るんだ」

「エミリオ・・・お前の哀しみから逃れることはできない。
　だが、お前にはこの海があるんじゃねぇのか」

「エミリオ船長！」


仲間達の温かい言葉が、胸の中へ広がっていく。


・・・俺は海賊だ。
大地に跪くことも、その恵に感謝して
土に口づけする事もないだろう。
風と光を身にまとい、南の空に輝く十字星を追いかける。

エレーヌ・・・キッド、アン。・・・見ていてくれ。
七つの海をこの手に、海賊・エミリオは
海の神に与えられた命を生き抜く！


手の中にあるアンの十字架を、俺はグッと握りしめた。


俺は仲間達の方を振り返える。
皆の顔には温かな微笑みが浮かんでいる。
俺はうなずくと、大きく息を吸いこんだ。

行こう、きらめく海へ・・・


『錨を上げろーっ！』