その日、俺はちょっと疲れていた。
有名デザイナー事務所のアルバイトを始めたのは良いのだが、
そこのナンバー２・ロドルフォ＝ドメスは、とても厳しい人で
少しのミスも許してくれない。
ただその分、報酬はたっぷりで、苦学生の俺は背に腹返られず
出来るだけミスをしないように仕事に努めるしか無かった。
だがこの２日ほど、アルバイトだというのに徹夜が続き、
さすがの俺も束の間の休息を求めて、会議室へ逃げ込んだのだ。
一番立派なこの大会議室は、特別応接室も兼ねていて
滅多なことでは使われない。
それでもドアから一番見えにくいソファを選んで横になった。
ビルの中に流れているＢＧＭが、すぐに睡魔をつれてきた。
どれくらい眠っただろう。
不意にドアの開く音がして俺は慌てて縮こまると
ソファの陰に隠れた。
入ってきたのは誰でもない、ロドルフォさんだ。
こんな所を見つかってはクビになるかもしれない。
俺は息を潜めた。
ロドルフォさんは俺に背を向ける形で座ると、
なにかを机の上に広げ、作業を始めた。
音からすると、なにかを描いているようだった。
なにを描いているんだろう・・・？
ＢＧＭが俺の存在を消してくれていたのか。
それともロドルフォさんが集中していたせいか。
３０分ほどするとロドルフォさんは席を立ち、
部屋の壁に掛けられたホワイトボードに
何かを貼り付け始めた。
（デザイン画・・・？）
何十枚ものデザイン画を貼り付け終えると、
ロドルフォさんは部屋を出て行った。
俺はソファの陰から出ると、ホワイトボードの前に立つ。
「へぇ・・・ロドルフォさんのデザイン画って初めて見た」
俺はマジマジと絵に見入った。
別にデザイナー志望じゃないのでアイディアを盗むとか、
デザインの善し悪しがわかる訳じゃないが、
こんなモノを見る機会なんて滅多にないことだ、
と言うことだけは理解していた。
背後でドアノブを回す音がした。
俺は慌ててしゃがみ込むとテーブルの下へ隠れた。
誰かが部屋に入ってきて、ホワイトボードの方へ歩いていく。
俺は音を立てないようにその人物と反対方向へ移動していく。
絨毯の毛足が長くて本当に良かったと思いながら。
ホワイトボードから随分と離れたところで、
俺はこっそり入ってきた人物をのぞいてみた。
俺の雇い主にして、ドンファンブランドのオーナー、
レオ・ヴィスコンティその人だった。
彼はロドルフォさんの描いたデザイン画に見入っていた。
そしてやおらテーブルの上に残されたペンを取ると
そのデザイン画に何かを描き始めた。
やがて全てのデザイン画に何かを描き終えると、
彼も部屋を出て行った。またもや俺一人が残される。
部屋を出るならいまだ。サボり始めてから時間も随分とたつ。
これ以上持ち場を離れては、またロドルフォさんの
怒りを買うだろう。
だが俺は好奇心に勝てなかった。
彼がロドルフォさんのデザイン画になにを描き込んだのか。
どうしても気になって立ち去ることが出来なかった。
足がホワイトボードの方へ向かう。
「・・・これは・・・！」
ロドルフォさんのデザイン画に手直しがされている。
ある物にはピンポイントで、ある物には素材の指定を変更を、
とにかく全てに的確なアドバイスが書き込まれていた。
「へぇ・・・こんな風にするんだ」
その時の俺は、単に同じデザイナーとしてレオ・ヴィスコンティが
ロドルフォさんにアドバイスしただけだと思っていた。
数ヶ月後。
ミラノで行われるファッションショー用の衣装が出来上がってきた。
仕事ぶりが認められて現場にも出入りするようになった俺は、
ロドルフォさんについて最終チェックの手伝いをしていた。
出来上がってきた衣装を見て俺は驚いた。
あの時、会議室で見たデザイン画と同じ衣装が次々と出てくる。
「どうした？」
「ロドルフォさん、この衣装・・・」
「なんだ？」
「これってロドルフォさんがデザインし ――――」
それより先を口にすることは無かった。
振り返ったロドルフォさんのナイフより鋭い、
そして氷より冷たい視線に、
俺の動きは完全に止められてしまったからだ。
固まった俺は引きずられるように
ロドルフォさんの私室へ連れられて行った。
彼は廊下に誰もいないことを確認し、部屋に鍵をかけた。
なぜか背筋がゾッとした。
「・・・なにを見た？」
「え・・・あ・・・」
「いつ、どこで、なにを見た？」
何ものをも許さない、そんな眼だった。
俺は観念して全てを白状した。
「そうか・・・あの時・・・」
大きく息を吐くと、ロドルフォさんは
自分の椅子に倒れ込むように座った。
ロドルフォさんが弱気になったのを感じたのか、
俺の潔癖クリスチャン魂が頭をもたげた。
「ロ、ロドルフォさんが描いたデザインなのにレオ・ヴィスコンティの
デザインだなんて言ってショーをしたら、詐欺だと思います！」
ロドルフォさんは驚いたように俺の方を見た。
そして小馬鹿にしたようにフッと笑った。
「彼は多忙でね。デザインの全てを描いている時間がないんだ。
だから彼のデザインの全てを知り尽くしている俺が、
彼のイメージを聞いてデザインに起こし、彼が最終チェックをして
世に出すという、最も効率的な方法をとっているにすぎない」
「でも・・・」
「これはビジネスなんだよ」
余裕を取り戻したロドルフォさんがこちらに向き直る。
「彼はデザイナーとして、定期的に新作を発表しなくちゃならない。
それと同時に、彼はこのドンファンブランドのイメージ
そのものも作り上げなくてはならない。
・・・全ての女性に美を与える男としてのね」
「・・・女遊びのことですか？」
「常に磨き上げるにふさわしい女性を捜しているだけだよ」
「そんなの、止めさせればいい！」
「そうは行かない。言っただろう？これはビジネスなんだ」
ロドルフォさんは立ち上がると、ゆっくり俺の方へ歩いてくる。
「ただの男がデザインした洋服より、貴族出身で
世界中の女を虜にするような・・・そんな男が
デザインした洋服の方が注目される」
「・・・」
「レオ・ヴィスコンティ。
全ての女性をミューズにする天才デザイナー。
イタリア貴族の血を引く美しき青年。
ドンファンブランドに必要なのは、
彼のその”イメージ”なんだよ」
「・・・デザイナーとして必要ないと？」
「そんなことはないさ！だから彼の手がちゃんと加わっている。
ただ、一番効率的な方法を取っているだけさ」
ロドルフォさんが俺の後ろに回りながら、肩に手を置いた。
「彼が全ての洋服をデザインし、裁断して縫製までするなんて
無理だろう？それと同じさ。お針子がいるようにデザインを
代わりに起こす人間がいてもなんの不思議も、問題もない」
「でも！・・・・彼が女遊びを止めれば、デザインを描く時間くらい
出来るんじゃないですか？！」
「じゃぁ、君にも手伝ってもらおうか」
「えっ？」
ロドルフォさんが俺の前に回ってくる。
「レオが忙しい理由の一つは、磨き上げた女性達の後始末さ。
磨き終わった女たちは、レオにとってなんの意味もない。
だが女たちはいつまでもレオを手放さない」
「俺に・・・彼の女遊び後始末をしろと？」
「飲み込みが早いな」
またフッと笑うとロドルフォさんは机の方へ戻っていく。
「君をレオの私設秘書として雇おう。報酬は今の１０倍だ」
「１０倍？！」
「条件はただ１つ。秘密厳守。君が知ったこと全てに対して」
「・・・デザインのことも？」
「君が知ったことなら”全て”だ」
俺に拒否権はなかった。
「あぁ、それからもう一つ。君は彼の”私設”秘書だ。
だから彼のことは”レオ様”と呼ぶように」
黙っている俺にロドルフォさんはまた、フッと笑いかけた。
「君の情熱で、レオの女遊びの時間が減ると良いんだがな」
かくして潔癖なクリスチャン魂を持った俺は、
世界中で一番、女をたぶらかしているであろうレオ様の
恋の後始末をして回ることになった。
でも絶対、いつか止めさせてみせる。
こんなことを続けて良いわけがないんだ。
でも、どうやったら止められるんだ？！