食料の入った籠を抱えて、甲板を歩いていたら、
ドクターに声をかけられた。
「アン！今、忙しいかい？」
「これを厨房へ運んだら終わりよ。何か用？ドクター」
「すまないが、これをエミリオ達の所へ持って行ってくれないか？」
ドクターが目の前に小さな壺を差し出した。
「なぁに、これ？」
「傷薬だよ。いつもは私が手当をしてやるんだが、
今日は他にも怪我人がいて、手が放せないんだ」
「あぁ！エミリオの訓練ね。わかったわ、持って行く」
とは言ったものの、両手は籠でふさがっていて持つことが出来ない。
困っていたら、ドクターは苦笑しながら籠の上に壺をおいてくれた。
「じゃぁ、頼んだよ、アン」
「はい、ドクター！！」
急いで厨房へ食料を届けると、壺を持ってキッド達の訓練している所へ向かう。
船を下りて、砂浜をしばらく行った所にいるはずだ。
案の定、キット達に囲まれて、エミリオはヘロヘロになりながら剣を握っていた。
その様子を拝み屋が腕を組んで見守っている。
「調子はどう？」
「アンか。なんだ、エミリオの様子を見に来たのか？」
「ドクターに頼まれて薬を持ってきたのよ」
私は拝み屋の前に壺を差し出してみせる。
「あぁ・・・それで足りるかな？」
「そんなにやられてるの？」
「ほとんどキッドが相手をしてるからな。上達も早いが怪我も多いさ」
エミリオが砂浜に倒れ込んで余裕が出来たのか、
キッドがあたしに気が付いた。
「よう、アン！どうだ、俺の剣さばきは！！」
「はん！まだ海賊になって半年の新米相手に、なに偉そうにしてんのさ。
エミリオ相手なら、あたしでも勝てるよ！」
「言ったなぁ！」
まだ血の気がたぎっているのか、キッドはあたしめがけて襲ってきた。
拝み屋に薬壺を渡すと、あたしは剣を抜き、キッドの剣を受ける。
「女相手じゃ本気にはなれないな。手加減してやらぁ！」
「ふん！ずいぶん偉そうな口を叩くじゃないか。
これでもラッカム船長の一人娘、女海賊のアンと呼ばれるあたしだよ。
手加減してる間に頬に傷のひとつも付けてやるさ！」
あたしは身を翻すと、キッドの後ろに回り込む。
エミリオの相手をして疲れていたところに、あたし相手だと油断したのか、
キッドはあたしの早さに付いてこられないでいる。
「どうしたのさ、キッド。あたしはここだよ！」
「う、うるさい！！」
キッドの剣が大振りになる。
確かに、腕っ節ではキッドや他の男には敵わない。
でもあたしにはその分、身軽さがある。
相手の懐に飛び込んで舞うように剣が踊る。
アッという間に、キッドの喉元に短剣を突きつけた。
「ちくしょう！！疲れてなきゃ、アンになんか負けるもんか！」
「あぁ、そうだろうねぇ。だけどあたしは疲れたアンタ相手に勝っても
偉そうな口は叩かないよ！」
「・・・・・・ふんっ！」
キッドは剣をしまうと、周りにいた仲間達に声をかけた。
「さあ、今日はここまでだ！エミリオ、お前ももう少し考えて攻撃するんだな」
捨てぜりふを吐くと、バツ悪そうにしてキッド達が船へ引き上げていく。
あたしも剣を納めて、拝み屋から薬壺を受け取った。
「エミリオは・・・あたしが手当していくよ」
「そうか」
拝み屋はあたしの顔を見てニヤッと笑うと、キッド達の後を追って帰っていった。
・・・どうも、拝み屋は苦手だ。父さんと長い間一緒に航海してる。
あたしのことも生まれた時から知っているせいか、なんとなく頭が上がらない。
あたしは砂浜に転がっているエミリオのそばに近寄る。
「エミリオ・・・大丈夫かい？」
「・・・アンか・・・」
「薬を持ってきたよ。ドクターは手が放せないんだ。だから今日は、
あたしが代わりに手当してやるよ」
動くと痛むのか顔をしかめながら、エミリオは体を起こす。
あたしはエミリオの横に跪いて薬壺を開けた。
破れた服の裂け目から傷口の様子を見る。
「・・・随分、軽い傷になってきたね。上手く避けられるようになった証拠だ」
「それでも傷ついてることには変わりない」
「キッドはアドベンチャー号の中じゃ３本の指に入る剣の達人だからね。
そう簡単には勝てないさ」
「・・・俺は、アンにも勝てないか・・・？」
さっきの言葉が耳に入っていたのか、エミリオは悔しそうに呟く。
まずいことを言ったとあたしは後悔した。
「し、仕方ないさ。あたしは生まれたときから海の上で育って、
物心着く頃には剣を握って遊んでたような女だよ。
アンタじゃなくても、そんじょそこらの男じゃあたしには勝てないさ」
「・・・そうか」
気まずさをごまかすため、あたしはわざと乱暴に薬を塗っていく。
エミリオは眉をひそめ、唇を噛みしめて痛みをこらえている。
波の音だけが響いている・・・
半年前、トルツカ島に流れ着いたサンタ・カタリーナ総督の息子、エミリオ。
浜で見つけた時はあたし達海賊のことを毛嫌いしていたけれど、２〜３日して
体が回復すると、父さんの誘いに応じて自らも海賊になると言った。
すべては両親を殺した海賊・エドガーへの復讐のため ―――
「背中も切れてるね。服を脱ぎな」
エミリオは黙って上着を脱いだ。
あたしは後ろに回ると、背中の傷にも薬を塗っていく。
「・・・アンタの剣には無駄が多すぎる。貴族様の使うような
細っこい剣じゃないんだ。あんなにただ振り回すだけじゃ、
当たるものも当たらない」
「でも・・・」
「どっちにしても、こんな生っちょろい腕じゃ無理さ」
そう言ってあたしはエミリオの細い、しなやかな腕を叩いた。
傷口に近かったのかビクッと痛がるエミリオ。
「あはは！ゴメンよ。・・・もっと体力を付けなきゃ。海賊の剣は重い。
まずは腕も足も鍛えて、もっとたくましくなるんだね」
「アン・・・・・・ありがとう」
薬を塗ったことへか、それとも剣の助言へか。
エミリオの感謝の言葉に、顔が熱くなるのがわかった。
あたしは傷薬をエミリオの横へ置くと、立ち上がって波打ち際に行く。
夕陽が沈み初めて、いつもは青い海が赤く染まっている。
エミリオは、復讐のために海賊になった。
復讐を果たしたら・・・エドガーを倒したら、エミリオは・・・
波が寄せて返す。
宵の明星が輝き始めた。
「エミリオ・・・アンタ、復讐がすんだらどうするんだい？」
「・・・・・・・・」
「エミリ ―――――」
答が無いので振り返ったら、エミリオは脱いだ上着の上に仰向けに寝ていた。
スースーと穏やかな寝息が聞こえる。
あたしは音を立てないようにしながら、エミリオのそばへ行く。
薬壺の蓋を閉めると眠っているエミリオを見下ろす。
少し伸びたブロンドの髪。
いくら日に当たっても琥珀色にしかならない肌。
涼やかで整った顔立ち。
「あんた、やっぱり貴族のお坊ちゃんなんだねぇ・・・」
あたしは小さな声で呟く。
そう、あたしとは違う。
真っ黒な髪に漆黒の肌をした海賊の娘とは違うんだ ―――――
あたしはそっと、眠るエミリオの頬に口づけをした。
「う・・・ん・・・・・・」
頬に触れた感触でエミリオの眠りを妨げたらしい。
あたしは飛び退くと、大声で叫んだ。
「エミリオ！なにを寝っころがってんだい！」
エミリオは驚いて飛び起きた。
あたしはそれを見て大声で笑い飛ばす。
「迂闊に寝るんじゃないよ。敵に襲われたらどうすんのさ！」
「あ、あぁ・・・」
「さぁ、帰るよ。食事の用意も出来た頃だ。早く帰らないと
キッド達に食い尽くされちまうよ！」
あたしは足下の薬壺を拾い上げると走り出した。
「船まで競争だよ、エミリオ！」
「ちょ、ちょっと・・・待てよ、アン！」
エミリオが上着をつかんで追いかけてくる足音で、波が乱される。
船が、ずっと遠くにあればいいのに・・・
そんなことを考えながら、あたしは砂浜を走っていた。