宮殿内を巡回していると、アムネリス様の部屋から
女官達が下がってくるのに出くわした。

「ケペル様！」

女官達は私に気づくと軽く腰を落として控えた。
私はアウウィルに近づき、小声で訪ねる。

「アムネリス・・・いや、ファラオはいかがされている？」

アウウィルは小さく首を横に振る。

「エチオピアからお帰りになって以来、ほとんど何も召し上がらず・・・」

隣にいたターニが、持っていた盆を私の前に差し出す。
かろうじて飲み物だけが減った食事が上に乗っている。

「ここ２日ほどは、お眠りにもなれないご様子で・・・」
「そうなのか？」
「はい。夜、控えている者が、寝室内を歩き回る足音を聞いた、と。
　まだエチオピアの残党について、ご心配されているのでしょうか」

私は小さくため息をついた。



前ファラオが暗殺され、エジプトは一時、大いに乱れた。
しかも、次のファラオとなるであろうと思われていた
将軍・ラダメスの裏切りによってファラオが暗殺されたことが判明し
さらなる混乱に陥りかけた時、アムネリス様は苦渋の選択で
ご自分がファラオとなる道を選ばれ、
そしてエチオピアの殲滅を我が軍へ命令された。

エチオピアは跡形もなく滅び、王・アモナスロは狂い死んだ。
王子・ウバルドはファラオ暗殺の時に自害している。
供のカマンテとサウフェも殉死した。
そして残る王女・アイーダは行方不明のままだ。
追捕の手を差し向けてはいるが、いまだ見つかっていない。
しかし女の手ではエチオピアの再興は不可能であろう。


今、ファラオであるアムネリス様を苦しめている事があるとすれば、
それはきっと、行方しれずの王女のことではなく・・・



「ケペル様……」
「とにかく、何かお口に出来そうなものを、知恵を絞って考えてくれ」
「わかりました」

女官達は軽く腰を落として挨拶をすると、長い廊下をさがっていった。
私はそのまま足を進めようとして、そこから先が男子禁制の
アムネリス様専用の宮殿に当たることを思い出し、
回廊の外へ出て庭へ回ることにした。

荘厳な造りの庭の中を人工の川が流れている。
ナイルの流れを引いてきたこの小川は宮殿内を通り抜け、
やがて地下牢の近くまで流れ着き、消えていく。
私は川の流れを眺めた。



ラダメス。
私の親友にして、エジプトを裏切った男。

いまだに、私は心のどこかで信じられないでいる。
あの男がエジプトを裏切ったことを。
「裏切ったのは私だ」と自らの口から聞いたにもかかわらず……

なぜだ？
なんの為に裏切った？
将軍になり、アムネリス様の寵愛を受け、
ゆくゆくはファラオになるだろうと誰もが思っていた、
そんな男が、なぜエジプトを裏切る必要などあろう？

しかし……
先のエチオピア戦以来、アイツはどこかおかしかった。
褒美を求めずエチオピアの解放を前ファラオに申し出た。
よりによって、あの女の故郷・エチオピアの解放を。

……私は薄々、気づいていた。
ラダメスがあのエチオピア王女・アイーダに興味を抱いていることに。
しかしそれは、勝った者と負けた者の隔たりを超える何かでは無かったはずだ。
だから私は、勝利の恩賞としてせいぜいアムネリス様付きになっているあの女を
自分付きの奴隷として賜るよう申し出る程度だと思っていた。
だからその予想をはるかに超える言葉に私は、
なぜ共に戦った我々兵士への恩賞を願わないのかという憤りと、
あまりに突拍子もない内容に疑問を感じずにはいられなかった。

だが時間が経つにつれて、私は確信を深めた。
アイツは「隔たり」を超えようとしているのだと。

危険だ。
それはあまりにも危険すぎる。
誰がそれにつけ込むかわかったものじゃない。
それこそ、あの女につけ込まれでもしたら……


そう。
ラダメスはつけ込まれたのではないだろうか。
あの女に……あの女を取り巻く、エチオピア人達に。

ならば、なぜそう言わない？
「騙された」と……「嵌められた」と一言言えば、極刑は免れるはずだ。
なのにアイツは沈黙を守ったまま、明日を迎えようとしている。
刑が下される明日を。



「ケペル！」

後ろから呼ばれて、振り向くとメレルカが立っていた。

「どうした、ぼんやりして」
「いや……なんでもない」

メレルカも、共に戦った仲間だ。
私が何を考えていたか、すぐに察したらしい。
しかしおくびにも出さずに、そのまま話を続ける。

「今夜の見回りはお前だろう？」
「……もう、そんな時間か」
「他の者達が点呼を待っている、早く行ってやれ」
「あぁ」

いつの間にか夕闇が迫っていた。
メレルカの横を抜けて、兵士達の待場所へ急ぐ。
去り際、メレルカが少しだけ心配そうな顔で私を見たが、
私もそれには気づかないふりをした。



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