病院の屋上

シモーヌは寝間着にガウンを羽織って、屋上のベンチに座っている。

「いい天気だね、シモーヌ」
「・・・ステファン」

後ろからの声に振り返ると、担当医であるステファンが
こちらに向かって歩いてきた。
シモーヌは上半身だけひねってステファンが来るのを見ている。

「具合はどう？」
「平気よ。病院に入ってからは発作も起きないわ。
　入院の必要なんて無かったかもね」
「入院してるから発作が起きないんだよ。君は仕事の量が多すぎる。
　心臓がオーバーヒートしても無理はない」
「だから早く、オーバーヒートしない心臓に治してちょうだい」
「心得ました」

胸に片手を当てて軽くうなずいてみせるステファン。
シモーヌはフフッと笑うと、前へ向き直って景色を眺めた。
ステファンもベンチの前に回ると、シモーヌの横に座る。

「手術、来週の水曜日に決まったよ」
「ありがとう。無理を言ってしまったわね」
「いいんだよ」
「だってあなた、本当は脳が専門なんでしょう？
　心臓なら本来の担当はクロード先生だって看護婦が言っていたわ。
　でもこれがあなたの専門の病気だったら私、もっと大変だったと思う」
「どうして」
「だって脳外科でしょ？だったら頭を切るじゃない。頭の手術の時は
　髪を切って丸坊主にするんだって看護婦さんから聞いたわ。
　そんなことになったら女優生命の危機よ」

シモーヌは大げさに言って嘆く振りをして見せた。
ステファンがその様子に笑っている時だった。

「こんなところで大量の日差しを浴びたら、シミの原因になりますよ」

振り向くと、両手を白衣のポケットに突っ込んだクロードが立っていた。
シモーヌは立ち上がるとクロードの方を向いて笑みを浮かべた。

「その時のシミ取り手術は先生にお願いしようかしら。でもクロード先生は
　心臓外科担当だから、シミ取りの手術なんて引き受けて下さらない？」
「そんなことはありませんよ。この腕の技術によりをかけて執刀致します」
「あら、じゃぁ随分お高くなりそうね」

クロードの頬がピクリと上がったが、すぐに自信をたたえた笑みを浮かべた。

「もちろん。・・・それだけの価値がある技術を提供致しますから」
「おい、クロード」
「次に病気になった時はお願いするわ。もっとも、退屈な病院暮らしなんて、
　一度で十分だけれどね」

シモーヌが女優の顔で微笑んだのとは対照的に、
クロードの顔はサッといつもの厳しい表情に戻った。

「・・・ステファン、婦長が探していたぞ」

そう言い残すと、クロードは踵を返して歩き去った。
風になびく白衣が、大空に羽ばたく鳥の羽のようだとシモーヌは思った。

「あの人も、早く気づけばいいのに」
「え？」
「欲しがるだけじゃダメなんだって。与えなきゃ満足しないんだって」
「なんのこと？」
「・・・・・・私と似てるってことよ」

立っているシモーヌを見上げて、ステファンは怪訝な顔をしている。
そんなステファンを見て微笑むシモーヌ。

「あなたと知り合えて良かったわ、ステファン」
「・・・どうしたんだい、急に」
「あなたに出会わなかったらアフリカの孤児達のこと、知らずにいたわ、私」
「あぁ、あの写真のことか」

数年前、シモーヌもステファンもまだ駆け出しだった頃、
二人は共通の友人を介してとあるパーティーで知り合った。
その頃、国境無き医師団に従事している友人から来た、
物資援助やボランティアを募る手紙をシモーヌに見せたことがあった。
そこに同封されていた孤児達の写真を見て、シモーヌはチャリティ等の
支援活動に積極的に参加するようになったのである。

「・・・あなたのお陰よ、ステファン。あなたのお陰で私、幸せになれたの」
「？」
「あの子達に出会えて幸せなのよ、私」

シモーヌは微笑むと、ステファンに両手を差し伸べた。

「ほら、行きましょう！婦長さんが探してるって、クロード先生が」
「あ？あぁ・・・」

立ち上がったステファンに腕を絡ませるシモーヌ。

「では参りましょうか、大女優様」
「ええ」

まるで劇場前の赤絨毯の上を歩くような優雅さで、
二人は病棟に戻っていった。



・・・・それが、シモーヌの見た最後の青空となった。