「まだ起きないか？」

ロベルトが部屋に入ってきた。
手には新しい薬草が握られている。

「うん」
「ほんとは死んでんじゃねぇのか？」
「それはない！ちゃんと、息してるもの」
「あんまり寝たままでいると目が腐っちまって、
　今度起きた時、なにも見えなくなってるかもな」
「えっ！そうなの？」
「・・・ほら」

半分あきれ顔で、ロベルトは薬草をつきだした。
あたしはそれを受け取ると、すり鉢を持ってきて
ちぎって中へ入れていく。

ロベルトはそばに立ってしばらく見ていたけれど、
やがて黙って部屋から出て行った。
後には、あたしと・・・眠ったままの男が一人。


この人を助けて、もう１０日になる。
戦場で、かろうじて息をしていることにロベルトが気づいて
みんなでこのキャンプまで運んできた。
見つけておきながら、ロベルトはキャンプへ運ぶことには反対した。
つれて帰ったところでこの怪我では助からないだろう、それより
一刻も早く戦場を抜けて安全な場所へ行くべきだ、と。
でも親方・ミゲルの「このまま捨て置けば確実に死ぬが、
つれて帰ればその確率は少しでも減る」という言葉に
みんなが賛同して、今、彼はここで眠っているのだ。
あたしは薬草を擂りながらベッドの方を振り返った。

何度か洗ったものの血の色が落ちきらない包帯を体中に巻いて、
時々、苦しげな息をしながら寝ているスペイン人。

倒れていた時の服装からすると軍人。それも割と偉いさんみたいだ。
もしかしたら貴族かもしれない。
でも名前や出生地のわかるようなものは何もなかった。
彼が持っていたのは剣とロザリオだけ。
軍に知らせることも考えたけれど、敗走していったスペイン軍を
追いかけるのは至難の業だし、第一、あたしたちジプシーが
どれほど相手にしてもらえるか・・・
それなら、早く彼の傷を治して帰してやるのがいい。

ミゲルはそう判断して、傷の手当を施した。
そしてあたしがその後の看病をかって出たのである。

寝ている彼のそばに行って、包帯を外す。
まだ痛々しい傷口に新しい薬草で作った薬を塗りつけて、
新しい布で覆う。眠っていても痛みは感じるのか、
彼の眉間にしわが寄り、口元がゆがむ。

「ゴメンよ、ちょっとだけ我慢して・・・」

出来るだけ痛くないように、そっと包帯を巻いていく。
少し息の上がった様子を見て濡れたタオルで口元を拭き、
水を滴らせると、乾いた砂にしみこむように飲み込んでいく。

あたしはそのまま、ベッドの横の床に座って彼を眺めていた。

黒い髪に黒いまつげ。だけどあたしたちとは違う白い肌。
スッと通った鼻筋に形の良い唇・・・
目を覚ませば、かなりの美形に違いない。


確か、悪い魔女に眠らされたお姫様が王子様のキスで目覚めるって、
そんなお話、あったよね。ばあちゃんから聞いたことがある。

・・・・・・キスしてみようか。

あたしは部屋の中を見回した。耳もそばだててみた。
誰もいないみたい。

そっと唇を重ねてみる。

あたしより少しだけ冷たい、でも柔らかい唇に、
ぬくもりが吸い取られていくようでドキドキする。

唇を離して様子を見る。


「・・・やっぱり、あたしじゃ駄目か」

身動き一つしない彼にあたしはガッカリした。
ベッドに両手を載せると、その上にあごを付いて寝顔を眺める。

長いまつげが少し震えた。


このまぶたの下に隠されている瞳は、何色をしているんだろう？


「あ、お薬、お薬！」

ジプシーの秘薬も飲ませなきゃ。
藁を半分に切ったものを彼の口にくわえさせる。
その藁の溝に少しずつ薬を流していく。
これは苦い薬じゃないから、抵抗なく飲んでくれる。

ふと、さっきロベルトが言ったことを思い出す。

目が腐る前に、気が付いてくれると良いんだけどな。
そして彼の瞳の色を見てみたい。

頑張って看病しよう。
お薬も飲ませて、おまじない代わりにキスもしてみよう。
お姫様には王子様のキスじゃなきゃ駄目かもしれないけど、
この人はいくらなんでも王子様じゃないだろうから、
あたしのキスでも効き目があるかもしれない。


瓶に入った薬が全部飲み干された。
唇から少しこぼれた薬をふき取ってから
毛布を掛けてやる。

静かな寝息に変わる。




でも、キスのことは誰にも内緒にしておこう。
やっぱりちょっと恥ずかしいから。