セシリアと別れ、フランシスコも自分のテントへの道を戻り始めた。

一人取り残されたセシリアを守ろうとしたアントニオ。
傷ついたアントニオを守ろうとしているセシリア。

二人は幸せになる。

そう信じられる未来が垣間見えて、フランシスコの心はようやく
落ち着きを取り戻した。

それと同時に思い出す。
記憶を失っていた自分を支えてくれた人のことを。
その自分が守ろうとした人のことを・・・


テントの前の木に、誰かがもたれ掛かって座っている。
イサベルだ。

「イサ・・・」

声をかけようとしてフランシスコは息をのんだ。
少し開けた木々から見える月が、煌々とイサベルを照らし出している。


黒檀のような艶をたたえた髪。
髪に挿したバラよりも赤い唇。
あめ色に光る肌。
月を見上げる切れ長の瞳。


・・・・あんなにも美しい女だったろうか、イサベルは・・・・・

木にもたれて片膝を立て、時折拾った小枝で周囲の落ち葉をいじりながら、
イサベルは歌を歌っている。

『 涙を流していようと
　 微笑み浮かべていようと
　 明日は変わらず訪れ
　 この世の全ては移ろいゆく
　 けれどもあふれる思いに
　 嘘などあるはずないから
　 さすらいの朝にも幸せは目覚める
　 さりげない言葉さえも
　 この胸に響いては消えのこる 』


”聞こえるんだ。良かったねぇ・・・”
”これでやっと帰れるね。”
”・・・私が出て行こうかな。”
”私も一緒に行く ――――”


強い風が吹き抜けて、思わず目を腕で覆った。
木立を揺らした不自然な音でイサベルがこちらに気づく。

「なんだ・・・ビックリした！フランス軍かと思ったよ」
「や、やぁ」

イサベルはひょいと立ち上がると、スカートに付いた泥を払う。
まだ高鳴る鼓動を押さえながらフランシスコはイサベルの方へすすんでいく。

「どっか行ってたの？」
「い、いや。ちょっと夜風にあたりに・・・・眠れなくて」
「そう・・・あのね、ロベルト達がね、準備が整い次第、ここを出るって。
　多分、明日か、明後日」
「そうか」

自分を見るイサベルの視線を受け止めきれなくて、
顔をそらすフランシスコ。
そのまま、あてもなく歩き始める。
イサベルもその後を付いて行く。

「それで・・・あの時の”頼み”なんだけど・・・」
「頼み？」
「あたしは・・・・あんたと一緒に行きたい」

フランシスコの足が止まる。

「今まで・・・ずっとみんな一緒に暮らしてきたんじゃないのか？」
「そうだけど・・・でも、離れていくのは私が初めてじゃないよ。
　みんな、離れたり、また一緒になったりして暮らしてきた。
　危ないことだってこれが初めてじゃないじゃない。
　お尋ね者になったのも、今に始まった事じゃないんだし」
「・・・」
「だから・・・あたしはあんたと一緒に行きたいんだ」

黙りこくっているフランシスコ。
イサベルは、その背中に向かって話し続ける。

「この間も言ったけど、あんたの女にしてくれとか、そういうんじゃなくて、
　あんたを手伝いたいんだ。あたしも・・・あたしもあんたの役に立ちたい」

なおも黙っているフランシスコ。
ざわざわと木立と一緒に月明かりも揺れる。
沈黙が流れていく。

「・・・・そんなに邪魔？」

ガッカリしたような声で、イサベルがつぶやいた。
驚いて振り返るフランシスコ。
うなだれているイサベルの表情は読みとれない。

「そうだよね。あたし、なんにも出来ないもんね。
　一緒に行ったって足手まといになって・・・・邪魔なだけだよね」
「イサベル・・・」

近づこうと足を踏み出した、その分だけイサベルは後ろに下がった。
フランシスコの伸ばしかけた手が途中で止まる。

「ゴメン、困らせて・・・・あたし、やっぱりロベルト達と一緒に行くよ。
　見送りには、来なくていい。辛く・・・なる・・から！」

言い終わると同時に身を翻して走り去るイサベル。
その瞬間、数滴の雫が月明かりに煌めきを放った。

（涙？）

駆けてゆく後ろ姿に向かって走り出すフランシスコ。

「イサベル！」

夜の森の中を駆けていく赤いドレスが目に痛い。
しかしすぐに追いつき、その腕をつかむフランシスコ。

「イサベル・・・」

腕を取られてなお、背を向け、顔を背けているイサベル。
荒い息の合間に鼻をすすり上げる音が混じる。
肩が小刻みに上下するのは乱れた息のせいだけではない。

（イサベルが泣いてる ―――― ）



”危ないとか危なくないとかより、一緒にいたいかどうかじゃない！”



「イサベル」

フランシスコは、腕を思い切り引いてイサベルを胸に抱き寄せた。
驚きのあまりフランシスコの腕の中で硬直しているイサベル。

「ホアン・・・・？」

思わずイサベルの口をついて出たその名を、懐かしく聞くフランシスコ。
その名をくれたのはイサベルだった。
この命を救ってくれたのも。

何度、その名で呼ばれただろう。
そしてその名で呼ばれている自分は、
確かにイサベルと愛おしいと思っていた。
守りたいと思って剣を取った。
そして記憶をも取り戻した。
様々な想いと共に・・・

だが、以前の想いを取り戻したからと言って、
イサベルと愛おしいと思う気持ちを無くしたわけではなかった。
そのことに、どうして気が付かなかったのだろう・・・


「フランシスコだ」

イサベルの耳元でそう囁くと、フランシスコは赤い唇を塞いだ。
涙で濡れて冷えた唇に温もりが伝わる。

ガクガクと膝の力が抜けていくイサベル。
腕を取って支えながら、フランシスコはゆっくりとイサベルを座らせ、
自分もその前に片膝を付いてしゃがみ込んだ。

両腕をフランシスコに支えられたまま見上げるイサベル。
その視線を受け止めて微笑むフランシスコ。

「邪魔なんかじゃない」
「・・・え？」

腕を放し、代わりに頬に手を当てて涙の後をぬぐってやるフランシスコ。
されるままに見つめ続けるイサベル。

「お前の、望むようにすればいい」
「フラン・・・・シスコ・・・・・？」
「イサベルー！・・・・・イサベルー！」

少し離れたところでイサベルを捜す声が聞こえる。
フランシスコは立ち上がると、声のする方へ叫んだ。

「アンジェリカ、こっちだ！」
「フランシスコ？」

イサベルを立ち上がらせると、服に付いた泥を払ってやる。
まだ呆然と立っているだけのイサベル。

「なんだ、一緒にいたの」
「あぁ、そこで会ってな」
「お邪魔だったかしらん？」
「いや。・・・連れて帰ってくれるか？」
「わかったわ」
「おやすみ」
「おやすみ、フランシスコ。さぁ、行こ、イサベル」

突っ立ったままのイサベルの肩を抱いて、アンジェリカが促した。
数歩行ったところで弾かれるように振り返り、フランシスコの後を追うイサベル。

「イサベル?!」

アンジェリカの声など聞こえないかのように、
まっすぐにフランシスコの後を追っていくイサベル。
足音に気づいてフランシスコが振り返る。

「フランシスコ・・・・あたし・・・・」

追いかけてきたイサベルを笑顔で見つめ返すフランシスコ。
今まで見てきたのとは異なる笑顔に、イサベルは言葉を失う。

「お前の・・・望むようにすればいい。
　それがお前の”頼み”への俺の”返事”だ」

笑顔に射抜かれて動けないイサベル。
フランシスコの笑顔が、フッと可笑しさをかみ殺すような微笑みに変わる。

「ほら、アンジェリカが待ってるぞ」
「う、うん・・・」
「おやすみ」
「・・・おやすみ」

背を向けてテントに戻っていくフランシスコを
見つめているイサベル。

「んもう！ビックリするじゃない、イサベル」
「・・・」
「もう用は済んだの？」
「・・・うん」
「じゃぁ、帰るわよ。ほら！」

イサベルの手を引いて歩き出すアンジェリカ。

赤く染まっているであろう頬を隠してくれる木立の陰に感謝しながら、
イサベルはテントに戻っていった。